「虎に翼」と共に(2025.7.4 河田 英正会員)
NHK朝ドラ「虎に翼」は、明治大学女子部を経て司法試験に合格し、日本初の女性弁護士となった三淵嘉子さんをモデルにしたドラマでした。
私は明治大学法学部を卒業しました。義母も明治大学女子部の卒業生で、女子部時代の写真が残されていました。ニコライ堂、お茶の水橋など懐かしい御茶ノ水の光景も当初のころは頻繁に登場するなど、今回の朝ドラは、BSで観て、続いて地上波で、土曜日には1週間のまとめ編を妻といっしょに観てきました。今は、東京YMCA会館となっているYWCA会館もでてきました。虎子が大学に行く前にひと泳ぎしていたところです。プールもあった素敵な会館だったようです。
甘味処「竹もと」は私は行ったことはありませんが、神田の「竹むら」がモデルです。甘いものが好きであった義母は、おそらく何度もここで過ごしていたのではないかと思います。このドラマで取り上げられていた原爆裁判、帝人事件、尊属殺をめぐる2件の大法廷判決などは業界では有名な事件でそれぞれ歴史的事実に基づくものでした。基づくというより、厳密にその判決文が再現されていたといっていいと思うほどの正確さがありました。
私は、昭和41年に大学に入学し、昭和45年に卒業いたしました。そして虎子の友人桜川涼子さんが合格した昭和46年に私も司法試験に合格しました。しかし、涼子さんは同期の司法修習生にはいなかったと思ったら、彼女は司法修習を受けていなかったのでした。このドラマは私と同時代を進行していたと言えます。大学紛争、激しいデモ、新宿騒乱事件、東大安田講堂事件、三島由紀夫自害事件など正に目の前で繰り広げられていました。このような映像がドラマの背景に流れることがありました。
司法試験に合格し、司法修習生に採用していただいたのは桂場裁判官(石田和外)でした。しかし、青年法律家協会のメンバーとなり、熱心に勉強会を重ねていた裁判官の左遷人事をし、青法協からの脱退の指示をだしたのは桂場裁判官でした(ブルーパージと呼ばれている)。
私たちの修習生活にも重苦しい空気が漂っていたのは事実です。このようなおり、法務省の少年法改正の動きがあり、家庭裁判所、日弁連側からの反対意見があり、この時の改正作業はストップしましたが、その後何度も法務省側から改正の動きがあり、今では実名報道、少年法適用年齢の低年齢化などが実現しています。
ドラマでもあったように昭和48年4月4日に尊属殺重罰規定が法の下の平等に反するという大法廷判決がありました。これは昭和25年判決を変更するものとして大きく報道されました。しかし、この法律は、刑法がカタカナ記述ではなく現代用語化される昭和63年まで、刑法の中で生きていました。昭和48年頃、法務省は処罰の拡大、刑の重罰化、保安処分の導入を内容とする刑法改正草案を法制審議会で通しました。日弁連は、これに対して大きな反対運動を起こし、尊属殺、堕胎罪を削除し、現代用語化による改正問題の決着を実現させたのです。私は、日弁連刑法改正阻止実行委員会副委員長としてこの運動に関与してきました。
「虎に翼」は、私の学生時代から現在に至るまでを同時代的に描いてくれました。感動したり、反省もあったり、涙したこともあり、いろんな思いが頭の中を巡っています。虎子の一瞬の表情が豊かで良かったですね。微妙な心の動きが表現されていて、「はて?」と考えさせらたり感動する場面もありました。しばらくは、この余韻にひたりながらの生活になります。